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ART of MANGA マンガの芸術を見て
最終日にde Youngへ 先日、de Young Museumで「ART of MANGA マンガの芸術」展が昨年9月から開催されていることを知った。私が絵を描いているのを知っている友人から「ぜひ行くべきだ」と勧められ、最終日の 2026年2月2日 に足を運んだ。会場に入ってまず驚いたのは、アニメのコスチューム(コスプレ)で来ている観客が想像以上に多かったことだ。展示は「観る」だけでなく、カルチャーを「生きる」人たちの熱量で満ちていた。 私は小学生の頃から漫画を読み始め、10代20代、特にアメリカに渡ってからは少年マガジン、少年サンデー、少年キング、少女フレンド、マーガレット……主要な週刊誌を“全部”読む勢いだった。大人になってからは週刊モーニングやビッグコミックにも手が伸びた。漫画は私にとって、懐かしさの詰まった日本カルチャーの中心にある存在だ。 思い出すのは、病気で療養していた弟が、寂しさを補うかのように自分で漫画を描いていた姿である。それを見て私も真似したくなり、「伊賀の影丸」を手本に「甲賀のxx」という10ページほどの自作漫画を描いて遊
bigeva0
1 day ago6 min read


A Long-Awaited Return to Taiwan
— Black Water and the History That Was Not Taught — Preface I recently returned to Taiwan after a long absence. I am an American, born in Japan, to Taiwanese parents. I was born in Kobe and attended a Chinese-language school until the third grade. Around that time, my grandfather heard that the textbooks were becoming increasingly pro-communist and advised my parents to transfer me to a Japanese school. At home, I was never taught Taiwanese. My parents spoke it to each oth
bigeva0
Jan 39 min read


久しぶりの台湾旅行をして
― 黒水と、語られなかった歴史 ― まえがき 久しぶりに台湾に行った。 私は台湾人の両親を持つ、日本生まれのアメリカ人だ。 神戸で生まれ、小学3年生まで中華同文学校に通っていた(中国語)。その頃、教科書の内容が共産寄りになるという話を聞いた祖父が、日本の学校への転校を勧めたと聞いている。 家では台湾語を学ばなかった。親たちは台湾語で会話していたので、何を話しているかは少し分かるが、私は話せない。(中国語の学校に行ってはいたが、両親は台湾語と日本語しか話せない。)なぜ教えられなかったのか。日本社会に溶け込むためだったのか。それとも、語らない方が安全な時代だったのか。今になって、その理由を考えるようになった。 最初に台湾に行ったのは3歳の時だった。年子に近い男の子を3人連れて、母は里帰りをしたらしい。プロペラ機だったのか、船だったのか、記憶はない。
今、機内で3歳くらいの子どもを見ると、あの長旅を思い、母の大変さを想像してしまう。 次に6歳の時に父と台湾に行った。帰国時、沖縄で給油した際に、窓から見えた米軍機の列だけは鮮明に覚えている
bigeva0
Jan 212 min read
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